忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

それが

正常であるのか

異常であるのか

正常であると信じているだけなのか

正常であると信じたいだけなのか

正常であると信じずにはいれないだけなのか

正常であると錯覚しているだけなのか

正常であると望んで勘違いしているのか

正常であるという一般論に流されているだけなのか

正常であるということにしなければ不都合が生じるのか

正常であるということが心の拠り所であるのか

そもそも正常であるということはどういうことなのか

正常であることの必要はあるのか

正常であるということにどれだけの意味や価値があるのだろうか

正常と異常はどれほどの違いがあるのだろうか
PR
当たり前のことですが、
「努力すれば夢は叶う」とは限らないし、
当たり前のことですが、
「愛がすべて」ではないし、
当たり前のことですが、
「人類みな平等」ではないし、
当たり前のことですが、
「神」や「仏」は存在しないし、
当たり前のことですが、
人間は遅かれ早かれ皆、死ぬのである。
平和という名目の上で何をしてもいいとは限らないし、
平和という名目の上で少数民族を排他してもいいとは限らないし、
平和という名目の上で犠牲はやむを得ないと割り切っていいとは限らないし、
平和という名目の上で他国に爆弾を落としていいとは限らないし、
平和という名目の上で核を保有していいとは限らないし、
平和という名目の上で攻撃される前に先制攻撃していいとは限らないし、
平和という名目の上で大量殺戮兵器を開発していいとは限らないし、
平和という名目の上で報復合戦をしていいとは限らないし、
平和という名目の上で制裁を加えていいとは限らないし、
平和という名目の上で捕虜をリンチしてもいいとは限らないし、
平和という名目の上で他国に土足で侵略していいとは限らないし、
平和という名目の上で信仰の違う者を殺していいとは限らないし、
平和という名目の上で肌の色の違う人間を蔑んでいいとは限らないし、
平和という名目の上で誰一人悲しみに涙を流すことがあってはならないし、
平和という名目の上で誰一人傷つくことがあってはならないし、
平和という名目の上で誰一人血を流すことがあってはならないし、
平和という名目の上で誰一人犠牲になってはならないし、
平和という名目の上で誰一人殺してはならないし、
平和という名目の上で誰一人殺されてはならないし、
平和という名目の上で誰一人殺しに加担してはならないし、
平和という名目の上で誰一人殺しを黙認してはならないし、
平和という名目の上で誰一人殺しを見ない振りをすることがあってはならないし、
そもそも「平和」という言葉があること自体平和ではない証拠であるし、
次に世界大戦が起これば人類は滅亡するということを全員が自覚しなければならないし、
覚悟しなければならないし、
その危うい均衡を取り除かなければならないし、
危機感を感じなければならないし、
平和という名目を戦争と言う名目にもう二度と変えてはならないし、
これは単なる理想論だと笑ってはいけない。
このブログでの趣旨として、自分の思考を言語化して再確認すると言ったが、そもそも考えていることを100%言語化することは無理だと思っている。
というのは、頭の中で思い描いたことを言葉や、あるいは絵に表現するということは、言葉や絵というツールを使用して変換し出力しているに過ぎないからである。
当たり前のことだが、変換されるということは、本来の姿から変わるということである。
言葉で言い表せない思い、というものが往々にしてあるが、当たり前である。
言語は優れた人間のツールではあるが、単にツールであって、そのものが実体のあるものでもない。
思考というのは本来、孤独なものであると解釈している。
しかし、人間社会で生きている以上何らかの形で、考えや、思いや、情報を脳を介して伝えなければ生きはいけない。
面倒くさいと思うが、そうすることで自己の社会での位置づけや、存在意義というものが確立できるわけである。
そもそも、そういったコミュニケーションがなければ、思考するに足る脳の発達もないじゃん…

いかん…
難しく考えようとしすぎて馬鹿丸出しの文章になってきてる。
わざと難しく考えようとしたことが仇になってしまった…

やっぱり何かお題がないと文章って書きにくいな。
そもそもブログとは何なのか?
本来はウェブログであって、ネットワーク上の公開日記である。
しかし、他人の日記ほどつまらないものはない。
このブログを始めるにあたっていくつかのブログを参考にさせてもらったが、その人の体験したことや行動をだらだらと書き連ねているブログよりも、その人の思考や思想、論理、倫理など、内面をストレートに書き連ねているブログは比較的面白かった。
他人の内面を知ることができるというのは貴重なことではないだろうか。
それも、全くの他人が読むという前提であるからできることである。
実生活において自分を知っている人が、自分のブログを見ている場合は、内容や表現方法が多かれ少なかれ変わってくることだろう。
そもそもブログなんてものは自己満足の産物である。
少なくとも私にとってのブログはそうなのである。その前提で、自分の内面をストレートに言語化し、自己の思考を再確認し、それをさらすことで共感やスリルを得ようとするものである。
ブログに対する意識は今のところこんな感じだが、これから変わってくるかもしれない。

それと、最後に一言。
他人のブログほどつまらないものはない。
アクセス数を増やそうと躍起になっているブログというのは、一目で分かる。
リンクを増やせばいいというものではない。
見た目華やかなブログパーツで埋め尽くして、究極的にページが重たくなっている。
しかも中途半端にアフィリエイトなどやっているともう何が何か分からなくなっている。
アクセス数を増やしたいなら、読者のニーズを読み、それに伴った内容にするのが、遠回りなようで、一番確実な方法だと思うのである。
いろいろブログを見て回ったが、本当に読みたいブログがない。
だから、自分がそんなブログを作る。
理想は高く。ということで。

てか、結局この記事でも内容らしい内容が書けなかった…
本日から心機一転、ブログを書く。
今までも書いていたのですが、内容が伴ったものではなかった。
だからといってこれから書くものも内容が伴っているかどうかはわからない。
少なくとも書く方としてのブログに対する意識の変化はあったわけだが、このブログを読む人にとっての感じ方は人それぞれだからである。
そういうわけで、読む側の人のことは特に気にせず、書きたいことを書くことにする。
内容は特に考えていない。ジャンルも考えていないからカテゴリーも現段階では作っていない。
完全に見切り発車である。それでいいと思う。やってみなければわからないし、面白さも分かってくるだろう。
じゃぁ別にブログなんてしなくてもいいじゃないか?
まあいいじゃん。
このブログでの主な目的は、思考の明確化だからである。単に頭の中で考えているだけでは漠然としていて考えがまとまらないので、文章化することで自分の考え方を再確認しようと思う。なので、誰にも読まれなくてもかまわない。でも本音としては読んでもらってコメントが欲しい。
感じたことや、考え方をかなりストレートに書こうと思うので、読む人によっては毒舌だと感じるかもしれない。
そんな人は無理に読まなくてもかまわないし、文句をコメントしてくれてもいい。いちいち返信します。

因みにこのブログのタイトルや説明文と、内容は特に関係ないし、意味もありません。
また、内容的に矛盾するようなことを言うかもしれませんが、その日その日の感情で書きなぐっていこうと思うので、気にしないでください。そこまでの発言に対する責任は持てません。

愚か者の戯言として笑ってやってください。

さて何を書こう…
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
忍者ブログ [PR]
"了(誰でもない者)" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP @ SAMURAI FACTORY INC.